「生徒3人、場所は空港」――東京と山口を往復しながら、私がプログラミング教室を始めた日

空港の会議室でプログラミング教室をはじめる 教育と思考法

前回、「やめとけ、黒字にならんぞ」という過去の自分へのツッコミから始まった、私の教室運営ストーリー。

今日はその続き、「実際に教室を開けてみたらどうだったのか?」という、さらにリアルな(そして少しほろ苦い)お話です。

ALGO@案内役
ALGO@案内役

「先生、前回の記事では『市場調査もせずに飛び込んだ』とありましたが、最初の集客結果はどうだったのですか? データを見せてください。」

「……聞いちゃう? まあ、隠してもしょうがないから正直に話そうか(笑)。」

1. いざ始めてみたものの……現実は甘くない

意気揚々とチラシを配り、迎えた最初の無料体験会。 応募してくださったのは、わずか4人(4組の親子)でした。

首都圏の「プログラミング教育熱」を知っていた私にとって、この数字は正直がっかりするものでした。「あれ? みんな並ぶんじゃないの?」くらいの甘い幻想を抱いていたのです。

それでも、私は「一人でも学びたい子がいるならば教える」と決めていました。 ありがたいことに、体験会に参加してくれた4人のうち、3人が入会を決めてくれました。

こうして2017年9月、私のロボットプログラミング教室は、「生徒3人」という静かなスタートを切りました。

2. 「空港」が教室だったころ

実は、最初の教室の場所は少し変わっていました。「山口宇部空港」の会議室です。

当時、私はまだ東京でのIT研修講師の仕事を続けていました。 金曜日まで東京で働き、土曜日の朝一番の飛行機で山口へ帰る。そして、到着ロビーからそのまま空港内の会議室へ直行し、子供たちに授業をする

そんな「空飛ぶ先生」のような生活をしていました。

今振り返ると、空港という場所でスタートできたことは幸運でした。 飛行機が飛び立つ場所で、子供たちが未来の技術を学ぶ。 まさに「未来へ飛躍するゲート」を象徴しているようで、あの場所の空気が、私のやる気と希望を支えてくれていました。

(※現在は空港の会議室はラウンジに改装され、教室は宇部市の「福祉ふれあいセンター(旧多世代ふれあいセンター)」に移転しています)

3. 「応募ゼロ」の月を超えて

一方、居住地である下関市でも教室を開こうとチラシを配りました。 しかしこちらは、さらに厳しい現実が待っていました。

無料体験会への応募が「0」という月が続いたのです。

1ヶ月、2ヶ月……どれくらい続いたか覚えていません。 ポストを開けても申込書は入っておらず、問い合わせの電話も鳴らない。 「ああ、下関でプログラミング教室なんて、やっぱり無理なのかな……」

何度も諦めようと思いました。 それでも粘り強く続けていると、ある日ポツリと応募があり、ようやく2名の生徒からスタートすることができました。宇部教室の開校から、ずいぶん時間が経っていたと思います。

4. 経営者としては「ポンコツ」だけど

正直に告白します。 私は「先生」としては生徒たちに慕ってもらえている自信がありますが、「経営者」としてはポンコツです。

二つの教室を合わせても、生徒数は30人未満(2024年3月時点)。 競合の教室も増えてきましたが、競争できるだけの資金的な余力はありません。 それでも8年目を迎えられた唯一の勝因は、「公共施設を借りて、固定費を抑えたこと」。これに尽きます。

もし、見栄を張って立派な貸事務所を借りていたら、早々に潰れていたでしょう。

ALGO@案内役
ALGO@案内役

「『ポンコツ』とおっしゃいますが、『固定費を抑えて生存期間を延ばす』というのは、ランチェスター戦略における弱者の必勝法ですよ。先生は無意識に、正しい生存戦略をとっていたのです。」

さとっち
さとっち

「そう言ってもらえると救われるよ。 カツカツの状態だけど、子供たちが目を輝かせてコードを書く姿を見ていると、『やめてたまるか』って思うんだよね。」


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